罪なほどに甘い
 


     




こんなこと、想定さえしたこともなかった。
だが、起きえないことと断じるのは早計で、現にこうして起こってしまっている。
まだまだ幼いお顔が弱々しくも苦しげに顰められている様は何とも頼りなく。
日頃は白い頬が真っ赤に染まり、暁色の瞳も潤み、
はあはあと急くような呼吸が口から放たれている様子が、
いかに尋常ではない体調かを如実に示す。

 「…大丈夫だからね?
  ほら、そんなに性急に息を吸わない。」

経験のないものに翻弄されている身であることが怖いのだろう、
呼吸が切迫しており、このままでは過呼吸を起こしかねぬ。
全身の至る処がじわじわ発熱しているのだろう、
むせ返るような熱の香がする後輩くんを覗き込み、
汗ばんでしっとりした肌に貼りつく前髪を掻き分けてやる。
自分に比すればまだまだ小さなその身は
今にも座り込みそうになるほど力なくも危なげで。
肩を貸してやるだけでは足りないかと、
懐に掻い込む格好で抱えるように支えてやり、
よしよしと宥めるような声を掛けつつ、膝裏へ腕を差し渡して軽々と横抱きにした。
業務はいいから傍に付いててやってくれと
社長や与謝野、国木田から指示を受けてもいて、
とりあえず場所を移そうと社の事務所から二人して出て来たところ。

 就業中に起きたこと。
 ましてや、異能制御に関してを危ぶまれようことだけに、
 見送った彼らも祈るような案じをそれぞれの表情に浮かべていて。

敦が我を忘れてしまい、抑制が効かない状態にまで陥れば、
最悪の場合 獰猛な白虎に転変してしまう恐れもある。
そんな“月下獣”を無効化できる存在として、
異能無効化という特殊なスキルを持つ太宰こそ、
彼の容態が落ち着くまで傍らにつくのが最も適任じゃああるのだが、

 「……。」

立ち止まったエレベータのゲージ前で、彼にしては珍しくもほんの刹那ほど躊躇ってから、
携帯を取り出すととある相手へ回線をつなぐ。
数コールほど粘って待てば、相手が出たらしい操作音がしたが、

「ちゅ…。」

相手の名を呼ぶ間もなく切られ、しかもリダイヤルしてもつながらぬ。
着信拒否か、素早いなと舌打ちし、

「ごめん、敦くんの携帯貸してもらうよ?」

了解も待たずにあたりをつけたポケットからするりと抜き出すと、
判りやすい登録がなされてあったボタンを押して、今度はあっさり出たところへ、

「中也、敦くんの一大事なんだ。○○町のキミのセーフハウスに行くから来な。」
【な…っ。】

今度こそ反駁も何も許さぬ強引さで一気にまくしたて、
サッサと切ってぐったりしている後輩くんを抱え直す。
そのままエレベータで階下まで降り立つと、
昼下がりにしては車の往来が結構ある道路へ手を振って見せれば、
そこは長身で見栄えもいいことからか、周囲からの注目も多く。
それへ引かれてか、いやいや単に間がよくも通りかかったそれだろうタクシーを拾い、
小さな敦の身を、焦りつつも手際よく
後部座席へ丁寧に抱え乗せ、運転手に行先を告げて……さて。

 “都合よく身が空いていればいいんだが。”

何の、ダメなら最悪、あちらの首領たる森さんへの直談判という手もあろうし、
何かしら周辺でコトを起こして目を逸らす攪乱陽動の術だって繰り出せる。
真相に気づかれてもすぐには止められないよな小競り合いとか、
くだらない勘違いによる混乱や騒乱だとか。
収拾するのに手間取って、それにより時間稼ぎさえ出来れば本望なので、
それでよければ幾らでも策はあるが、
組織第一主義で社畜な彼奴自身の意識をこっち優先と説き伏せるのは骨かもしれぬ。
そういう気質をこっちの少年もようよう知っており、
いつもの体で遠慮したら何にもならぬ。
向こうの首領となら最悪この身を呈す覚悟で反目も構えられる太宰だったが、
肝心な当人らがそれでは何にもならぬ。
とはいえ、

 “…そうと来れば、
  仕方がないね 私がついてることになるよと持ち出しゃあいいか。”

自虐的ながら、されどこれが一番効き目ありそうだと苦笑をし、

 “貞操の危機だと付け加えれば、動かぬわけにはいかないだろうよ。”

もっと効果がありそうな言い回しを
甘い苦笑と共に胸中にて転がす美丈夫様だったりするのだった。



   ◇◇



固定電話ではない携帯電話の便利なところは、
当たり前な話ながら相手の居場所へ着いてくことであり。
近年めきめきと中継塔が建てられてもいるがため、
よほどの秘境でもない限りは何とか通じるのが物凄い。
一昔前の推理小説なら、
その時間は電話を受けていたというのが立派なアリバイになったものが、
今や “何それ寝言なんか言わないで”という扱いになっており。
通話記録と中継局を調べてもらったとしても
随分と広範囲でしか把握されないんだろうしねぇ。
逆に、誘拐や脅迫などの犯罪において
足がつきにくくなったという困った事態が生じたりしているそうだが、それはさておき。

 「…何なんだよ、あのヤロ。」

太宰からの入電を受けた、ポートマフィアの社畜、もとえ、
五大幹部の一隅、中原中也がどこにいたかといや、
ヨコハマ市内ではあったが、緩やかな丘陵地のずんと奥向きで。
人も滅多に入らぬか、
一応はひび割れた車道も有りはしたが
道の左右から生い茂る雑草に埋もれかかっていたほどに、
どうかすると山の中と言っても過言ではないほどの辺境の地。

「…敦の一大事だって?」

これがただの伝言なら捨て置けたが、敦というワードがどうしても気になる。
しかも一大事だというのが穏やかじゃあない。
とはいえ、こちとら 新興の敵対組織の誘いに乗って反目決めた、
裏切り者一味を絶賛掃討中という任務の真っ最中で。
アジトにしていたらしき廃工場を取り囲み、鏖殺を目標に突入したのが小半時前で、
佳境は越えたがまだ幾たりか仕留め損ねて外へと逃がしたクチを追跡中なのであり。
どれほどの一大事であれ “じゃあ”と簡単に身を引けるほど甘い現場では勿論なくて。
忌々しげにツールを睨み、自身へ振りかかった連続掃射へ携帯ごと手をかざすと、
弾丸の群れは中空で止まってそのまま足元へバラバラッとこぼれ落ちる。
かように集中は途切れぬままの、赤毛の辣腕幹部なのへ、

「中原さん?」

それでも様子がおかしいと気づいたのだろ、
必殺の異能“羅生門”として展開していた黒外套を格納しつつ、
持ち場から翔ってきた、今日の作戦行動における相棒へ、

「残党はあと幾たりだ?」

訊けば、10人もいませんとすんなり返って来たのを “う〜〜〜ん”と吟味し、

「口の利けそうなのは確保してたよな。」
「はい。何人か。」

相棒といったが彼ら二人のみで対処している訳ではない。
人里離れた僻地だがそれでも万が一
部外者が通りかかってそのまま近づかないよう、周辺一帯を監視する者や、
鏖殺が最終目的ながら
裏切りに至った事情とやらを紡がせるためだけの捕虜を
逃亡せぬよう、自害せぬよう、しっかと確保しておく人員などなど、
様々なフォローも必要な仕儀だけに、部下の一団も同行しており、
今も木立のあちこちへ散って
生き残りを追い詰める狗としてそれは意気盛んに駆けまわってくれており。
ならと吹っ切ったらしく、

「残りは俺が一気に潰す。雑な仕上げになるが勘弁してくれ。」
「?? はい。」

雑も何も、それで十分、上々の締めだ。
大量殺戮なんていう物騒な事実の痕跡を拭ってくれる
後始末専任の部隊への手配を先に告げ、
追手として放たれている部下らへ“戻れ”という合図を送り、
周辺で監視を張っている顔ぶれへあとの段取りを手早く命じるという、
最低限の指示を手際よく執り行うと、

「すまんが、奴らのとどめを差したら一足先に戻らせてもらう。」

いつもの正装、帽子付きの黒装束の胸の前に片手をかざし、
やや指を立ててその節をばきばきっと鳴らしつつ、
そうと言いきった中也の様子に、

 “…ああ、さっきの。”

眉を寄せて見下ろしていたツールだったことから、
何かしら思わぬ知らせを齎す入電があったらしいとは思ったが、
危急の事態が、あの人虎の身の上に降ったのだなと、
融通も察しも鈍かったはずが、身内にだけは察しがよくなった芥川、

 「…承知。」

短く応じたそのまま、後は自分にお任せをと言わんばかり、
口角を上げてやんわり笑って見せたのだった。




 to be continued. (17.09.10.〜)




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 *あまりにくどいのもなんだと思い、
  いきなりの一つ飛ばしな現状と、ヒントというか方向性をチラリズム…。
  ウチの太宰さんって、
  実は一番の辣腕なのです、全方向へ。(日頃はあんな扱いですが…)
  それにつけても、全然甘い話にならないなぁ。おかしいなぁ…。